星神社

■星神社
  • 星神社 外観1
  • 星神社 外観2
  • 星神社 外観3
  • 星神社 外観4
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神社名 星神社
神社名(かな) ほしじんじゃ
所在地 愛知県名古屋市西区上小田井一丁目172番地
電話 052-501-2862
受付時間 9:00~16:00
ホームページURL 星神社 :名古屋市西区の縁結び・夫婦円満の社 (hoshijinjya.com)
取扱い種目 縁結祈願、安産祈願、初宮詣、七五三詣、学業成就、合格祈願、家内安全、病気平癒、自動車祓、厄祓
初穂料(祈祷料) 5000円
おすすめの撮影スポット①
おすすめの撮影スポット②
おすすめの撮影スポット③
神社の由緒
  • 延喜式神祇巻(えんぎしきじんぎのまき)の第九巻に尾張國山田郡十九座ノ内十七座目坂庭神社(さかにわじんじゃ)とあるこれが今の星神社ことです。〔延喜式(えんぎしき)とは平安時代中期905年~927年に編纂された格式(かくしき)(律令(りつりょう)の施行細則)で三代格式の一つである〕
  • 尾張本國帳に従三位坂庭神社(じゅさんみさかにわじんじゃ)天神とある。是も星神社のことです。
  • 坂庭星社(さかにわほししゃ)では、毎年7月7日(旧暦)境内に土で壇を作り綺麗に清めて、天香香背男神(あめのかがせおのかみ)と二柱(牽牛星(けんぎゅうせい)・織女星(しょくじょせい))を合せてお祀りして、祭典の時にお酒を祭庭に灌(そそ)ぐ云々、故に酒庭星社(さかにわほししゃ)と呼ばれていました。
  • 当社の星祭は大変古くから執り行われていました。仁和年中(885年~889年)大江音人の子で政盛という人が、訳があって当社の近く(現在の上小田井)に住んでいました。才能のある人でしたが思うようにいかなくて困っていました。そこで、朝晩当社の神様に祈り続けて三年目に京の都に帰る事が出来ました。是より前に妻がいまして、一人の男子を生みました。大江五郎政輝と言いました。(旧町名の五郎庄(ごろしょう)の切(きり)りというのは、当時の五郎氏の邸宅が在った所です。)政輝も、星神社を父と同じように崇敬して文才も有り筆道にも長けていました。成人して後に、又京都に帰り官職に就きました。京に帰るとき、神様に誓って言いました。「私は、此神社の祭に逢い幸に志願を達することが出来ました。どうか皆さんの為に神様をお祀りして下さい。」と別に新たに社殿を建てました。是則ち大江社であると言われています。
  • 弘安三年(1280年)大勢の軍勢が神社の近くまで押し寄せて大火事が起こって当社は全て焼失してしまいました。その為神社は衰微して祭典を執り行うことも出来なくなりました。 暦應四年(1341年)になりまして、右近中將藤原朝臣實秋(うこんのちゅうじょうふじわらのあそんさねあき)がこのことを嘆いて社殿・廻廊・拝殿・樓門等を新築して神社を再建しました。そして星祭等の祭典も復興しました。
  • 神社の所領は四町八反も有りました。(神官・社家両方の家が有りました。)信長公の時代まで有ったそうですが、その後太閤殿下の時代に残らず召し取られたのです。
  • 当所の城主で小田又六(おだまたろく)(信長公ノ時代)が城内に井戸を掘ったので、坂庭の坂も字をとり、村名を坂井戸と言うようになりました。 其後又六殿の氏(うじ)の字小田(おだ)の下に井の字を添へ小田井(おたい)と言うようになりました。是より坂井戸(さかいど)村は小田井(おたい)村の惣名(そうみょう)となり、今の坂井戸は当時の俤(おもかげ)を残すものです。