猿賀神社

■猿賀神社
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  • 猿賀神社 外観4
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神社名 猿賀神社
神社名(かな) さるかじんじゃ
所在地 青森県平川市猿賀石林175
電話 0172-57-2016
受付時間 祈祷時間
8:30~16:30(4月~10月)
9:00~16:00(11月~3月)
ホームページURL http://ss701927.stars.ne.jp/index.html
取扱い種目 各種祈願(初宮詣/百日詣/七五三詣/合格祈願/学業成就/成人祭/厄除/年祝いなど〉、結婚式
初穂料(祈祷料) 各種祈願7,000円~
おすすめの撮影スポット① 猿賀神社 スポット1
おすすめの撮影スポット② 猿賀神社 スポット2
神社の由緒 古典(日本書紀)によれば田道命は「仁徳天皇五十五年(西暦三六七年)勅命を受けて北夷の反乱平定のため東北地方に兵を進めたが、戦利あらず、伊寺の水門で戦死なさる。後に大蛇の姿となって平定した」とある。又社伝によれば「五十六年蝦夷の毒手に敗死なされ、従者その屍を仮葬し、賊を捨て帰京す。蝦夷その墳墓をあばくに、たちまち遺体大蛇と化して毒気を吐発す。土人大いにおそれて鹿角郡猿賀野に祀って産土神となす。その後、二百年の星霜を経て、欽明天皇二十八年(五六七年)に大洪水あり。この時、田道命の神霊、白馬にまたがり漂木を舟として流れにしたがい、当地に移遷し給う、当地住民神霊を迎え奉て古木(鍋木)の洞穴に祀る」と、云われている。
桓武天皇の御代に再び暴夷を平定することになり、坂上田村麻呂将軍が兵を進め苦戦となった際、田道命の霊感を受けて大勝した。よって将軍は延暦十二年(七九三年)八月二十三日現在の地に祠を祀り、その趣を天皇に奏上した処、勅命により、大同二年(八〇七年)八月十五日社殿を造営、奥州猿賀山深砂大権現として勧請し、神威天長、国家安穏、黎民豊楽、悪鬼退散を祈願した。以来猿賀の深砂宮(神蛇宮)と崇められ御神徳四方に遍く、地方唯一の霊場と仰がれるに至った。かつては国司、探題、(藤原秀衡公、北畠顕家卿、阿倍氏代々等)の崇敬篤く、藩政時代に入り藩主津軽為信公により、祈願所と定められ社殿の改修造営、また社領の寄進などしばしばであった。明治四年太政官政令にて権現号を廃して猿賀神社と改称し、明治六年郷社に列せられ、更に明治十三年県社に昇格、戦後は社格が廃せられたが、昭和三十四年神社本庁別表神社に加列せられ今日に及んでいる。崇敬者は県内は勿論、北海道並に東北一円に及び眼の守護神とする特殊信仰並びに、辰年、巳年生まれの守護神として広く崇敬されている。