高麗神社

■高麗神社
  • 高麗神社 外観1
  • 高麗神社 外観1
神社名 高麗神社
神社名(かな) こまじんじゃ
所在地 埼玉県日高市新堀833
電話 042-989-1403
受付時間 8:30~17:00
ホームページURL https://komajinja.or.jp/
取扱い種目 お宮参り/七五三/⼗三参り/成人式/結婚式/年祝い など
初穂料(祈祷料) お気持ちでお納めください
おすすめの撮影スポット 高麗神社 スポット1高麗神社 スポット1
境内には多くの桜の木が植わっており、春には見事な花を咲かせています。
特に参集殿前の彼岸桜(樹齢300年)と高麗家住宅横のシダレザクラ(樹齢400年)はその桜の風情を目当てに多くの人が訪れています。
高麗神社 スポット2
秋になると参道の木々が鮮やかに紅葉し境内を彩ります。
神社の由緒 当社は、高句麗からの渡来人 高麗王若光を主祭神として祀る社です。
他に、導きの神 猿田彦命、長寿にして長く朝廷に仕えた武内宿祢命が祀られています。天命に則り、正しい道に導かれ、心身共に健康にして天寿を全うすることは当社の御神徳と言えます。
天智天皇5年(666)年、連合した唐と新羅は隣国の強国、高句麗の征討を開始しました。高句麗は危機的状況の中で外交使節団を大和朝廷へと派遣します。『日本書紀』には「二位玄武若光」の名が記されており、若光が使節団の一員として日本へと渡来した事が分かります。668年、高句麗は滅亡し、若光は二度と故国の土を踏むことはありませんでした。その後、大和朝廷に官人として仕え、王(こきし)の姓を与えられました。
若光の渡来から半世紀を経た霊亀2(716)年5月16日、大和朝廷は駿河(静岡)、甲斐(山梨)、相模(神奈川)、上総・下総(千葉)、常陸(茨城)、下野(栃木)の七国から高句麗人1799人を武蔵国に移し「高麗郡」を創設。この時、若光は郡の長官に任命されました。若光は郡内の高麗人をよく指揮し、未開の地を開発し、この地で波瀾の生涯を終えました。郡民はその徳を偲び、その霊を祀り、高麗郡の守護神としたのです。
神社からひとこと 当社は参拝いただいた方の中から内閣総理大臣に就任した政治家が相次いだことから出世明神と称されるようになりました。
また、御祭神 高麗王若光の子孫である高麗氏は、1300年・60代に渡り家系血脈が続いており、代々当社の祭祀を司ってきました。こうした若光の子孫の由来に因み当社は「子孫繁栄・子授け祈願」はもとより、「安産・初宮・七五三・成人奉祝・年祝」など人生儀礼での参拝も多く、篤い崇敬を受けております。